autumn / winter 2025-26
- 兆;manifested -
流れずとも、推移していく時間が止まるとき
残像が落ちていき、形式と選択があらわれる
時間の動きは眼に見えない分、ひとの感覚と呼応しています。
時はおもむろに過ぎていくのではなく、ひとの力によって進んでいくがゆえに、奥行きが生まれ、立体を帯びていく。
それは歴史や文脈となって現在に受け継がれていきます。しかし、つつがなく重ねてきたわけではありません。
突然、しかも一瞬、足止まることもあります。
そのひとつが回想—ほかの次元、あるいはまったく別の姿勢と視点—です。
それは単なる過去の振り返りではなく、非現実の入り口であり、精神療法であり、幻想であり、私たちが常にさらされる制限からの解放です。
この非論理的で無限の世界の輪郭は明確ではなく、またたく間に浮かんでは消えていくため、
残像として記憶に留めておく—それさえも難儀な場合もある—のが精一杯です。
儚く曖昧で、おぼろげなため、同質の場面を想像することで共有はできたとしても、
ひとによって僅かな差が生じる。そこに服と同じく個性が描出されます。
「高潔な怠惰、退廃的な性質を兼備した、騒々しくも奔放な集合体」
と称するこのコレクションは時間に対する作り手の態度が微細に映し出されています。
残像を意識する契機となったポーランドの長編映画『砂時計』の題材は所々に散見されます。
クイックサンド、と名付けられたマキシコートは、パワーショルダーではあるものの、
武骨に構築するのではなく柔らかいスリーブをベルベット地に、重さを調節しながら落ち感を計ることで揺らめきます。
ウール100%の強撚糸で編み込まれたニットドレスは、裏地を捻り、二重になっている部分と三重になっている部分を疎らに右往左往し、
映画の残像から得た濃淡のあるブルー、「制限(タイト)」と「解放(コンフォート)」がひとつになることで、
テクスチャーとシルエットの多層性を生む仕様に。
同様のファブリックはクロップドパンツのディテールをアップデートさせたカーディガンになっており、
セットアップのスカートがパンツ、トップスになる複数パターンの着こなしによって、着用の自由度を拡張させ、
服を一義的に捉えることをしません。
フィットするサイズ感を固持しながら生地のドレープ感を生み出す実験はロングスリーブ、
ノースリーブ、スカート、ヒジャブに展開されています。
「皮膜のように薄く、もうひとつの現実として潜んでいる。それは、決して触れることはなく不規則、ただし確かに存在する」
この世界は、mukcyenの創作意識にある「肌で実感することができることで、認識と所有を感知する」ことと自然に結び付いていきます。
現実世界における光と影のように、当たり前に散らばっているため、日常ではその気配を意識することさえないかもしれません。
しかしスタンスと眼差しにほんの少しの変容を加えるだけで、いままで見えていなかった指針が見えてくる可能性を秘めている。
感じること、有することに気づくだけで、この意識は顕在化されます。
どの時間を選び、個のなかに加えていくか、
そして他者との差を察知し、肯定と安堵によって、関係を育んでいく。
空想にも映るかもしれないこの一連の過程は、たしかにそうなのかもしれないし、現実にあることの微拡張でしかないのかもしれない。
解釈は、文末にサインを入れてもらうように、ひとに委ねています。